おひかえなすって! てまえ生国と発しますところ、国定村です。人呼んで国定のチュー治
とはあっしのことでござんす。今はわけあって千葉駅わきの屋台に一宿一飯のごやっかい
になっておりやすが、なにを隠そう先祖は、大黒様にお使えしていた由緒正しい家柄でござ
んす。証拠はこの○に三つ俵の紋どころ、先祖が大黒様からちょうだいしたものでござんす。
自己紹介はこのくらいにしてしておきますが、それにしてもちかごろは、世の中すっかり変っ
ちまったね。海の向こうからやってきた、なんチューの、ソーセージ、じやなかった、そうそう、
ハムスターとかいうやつが、すっかり人間に取り入っちまいやがってネ、ねずみのかざかみ
にもおけねーや。だいいち、まっちろけできもちわりーの、鈴木その子の親戚かあ。水車みて
ーなわっかの中で、一日中くるくる走ってやがる。もっとも、人間だつて部屋の中で、ベルト
コンベアに乗っかって走ってるんだからしょうがネーか。あっしらはそんな生き方はしないね、
まっとうにドブの道を守ってる。もっとも、最近「どぶ」ってやつがめっきり減っちまった。人間
がかたっぱしからコンクリートでふたをしちまったからね、あっしらも、おてんとうさまをめった
に拝めなくなっちまった。
すっかりぐちっちまったね、まあ、屋台のくらしも、まんざらって訳でもないんだ。 だいいち、
お客を観察してると飽きないよ、おもしれーやつらがゴマンといるからね。みんな一所懸命
生きてるんだろーけど、つい笑っちゃうこともあるね。
あの 「ピンサロ天使」のミカちゃんの大食いには屋台の親父もビビってたよ。
ミカちゃんは店に入って来ると自分で「いらっしゃいましたあー」っていうから、親父はだまった
まんま。顔は少しひきつってる。ミカちゃんはおかまいなしに、さっさとカウンターに陣どる。
気の弱そーな男の客を連れている。こういう時がミカちゃんの天下。目はメニューにくぎづけ
になったまんま、「なんかたのんでいーい」 連れの客が「ああ」と返事をしたのとほぼ同時だ
った。ミカちゃんの元気な声がひびいた。「キムチなべ! ベーコンエッグ二人前! じゃが
バター! しゃけのハラス! いかの糸造り! 野菜炒め! にんにく丸揚げ! ああそれと
酒ライム・・・」 親父の顔が青ざめた。ミカちゃんはまだメニューから目をはなしていない、
親父がさえぎるように、連れの客に「あのーお客さんは?」、客は、おじ気づいたように蚊の
鳴くような声で「あっえーと、あのー ウーロンハイ」。ミカちゃん、まだメニューを見ている。
「うん!もち、みっつ!」 やっと客の方を向いて、「お客さん!なんか食べないのおー」
「あっ いや いい・・・」。
ミカちゃんは、いかの糸造りの皿を持って、掻き込むようにイッキにたいらげた。最後のもち
を口に押し込むまでに、客のウーロンハイはまだ、半分も減ってなかった。親父は、洗い物
の山になった流しの前でボーゼンとしている。
突然連れの客が叫んだ、「あっ! お、おあいそ!!」
客はミカちゃんを残したまま、深夜の闇の中へ消えて行った。この時、ミカちゃんは酒ライム
の六杯目を飲み干していた。もちろんメニューを見つめながら。
愛ちゃんは、自分のことを「ラブ」と呼んでいる、40才をとうに過ぎているおばさんだ。
ひょうたんの親父の大敵だ。どうしてかっていうと、客が居ようがおかまいなしに、親父に
せまるから。愛ちゃんは背は低いが、すばらしく太っている。何度も店の椅子を壊しかけた。
混んでいるときに来てしまうと、二、三人の客がはじき出される。だから、愛ちゃんが店の前
を通ると、親父はあわてて流しの下にかくれる。
今日はタイミングが悪かった。親父がふり向くと、すでにそこに愛ちゃんが立っていた。
「ぎぇっ」 親父は小さく叫んだ。愛ちゃんは、にこにこ 笑顔で「ハーイ ラブでーす。」
ふかふかの豹柄のハーフコートをまとって、ミニスカートである。いや、普通のスカートなんだが
ミニスカートに見える。大きなブランド物のバッグを抱えている。親父は硬直している。
客は全員で席をつめた。「おそれ入りますでございます。」貴婦人のように一礼をしてどっかと
腰を下ろす。店が少しゆれた。
「マスター! お元気!」 親父の顔がゆがんだ。
「マスター!乾杯していただけます?」 親父は無視している。客はシーンとしている。
「マスターはいつも冷たいのね、でも、そこが魅力的なのね。」 客はシーンとしたまま。
「マスター! わたくしの心、お解りにならないのね。ラブはこんなに思っているのに・・・」
客は身動きひとつしない。マスターはなぜか、たいして無い洗い物を必死で続けている。
愛ちゃんが急にうつむいてだまり込んでしまった。客の首がいっせいに愛ちゃんの方に向いた。
愛ちゃんの肩がこきざみにゆれている。やがてすすり泣く声が静かな店内に響いた。
重苦しく静寂な時が流れていった。
と、突然 愛ちゃんが椅子を蹴って立ちあがった。隣りの客がとっさに身を伏せた。
愛ちゃんは、つかつかと親父の前に行くと、泣きじゃくりながら叫んだ
「カギ 返します!!」
客がいっせいに親父の顔を見た。親父はキョトンとしている。
愛ちゃんはバッグからカギのタバをつかみ出すと、ジャラジャラいじっていたが、何も渡さずに
帰ってしまった。
また静寂な時が流れた、客の目は親父に向けられたまま。
親父は、くしゃくしゃな涙目で、しきりに首を左右にふっている。何かを打ち消すかのように。
お久しぶりでござんす。チュー治でござんす。
早いもんで、もう三月だ。花見もすぐそこだあ。冬の間はあっしらも元気が出ねえが、これから
はちったあ活発にやらしてもらいやす。皆の衆にも流しのわきあたりでお目にかかるかも知れ
やせん。その節には声ぐらいかけてやっておくんなせえよ。
二つばかり話を聞いてもらったが、みんなけっこう面白いだろ。まだまたつづくから楽しみに
していておくんなせいョ。
手配師のあんちゃんが、3人のホームレスを連れて店にやってきた。あんちゃん、金のくさりの
ネックレスとブレスをじゃらじゃらさせながら、マンサツ一枚を親父に渡して、「こいつで好きなだけ
飲ましてやっちくれ!」と言うと、くるっと背中を向けて、かっこよく出て行った。
三人のホームレスは親父の顔をじーっと見ている。いつもだったら断られるのだが、今回は事情
が違う。第一、親父の手にはマンサツがきらめいている。三人の顔も心なしか自信に満ちている。
親父はマンサツに勝てなかった。「仕方ない」と言う風にあごで返事をした。三人は「やった!!」
とばかり笑顔になって、席についた。
ウーロンハイ三杯程で、三人はすっかりキゲンが良くなった。
真中の中年の一人が、右わきの少し若いもう一人に言った 「いいか俺の言うことをよく聴いて
おけよ。な、世の中、甘えもんじゃないんだぞ。世の中にゃあきまりってもんがあるんだ。そいつを
きっちり守らなきゃあいけねえ、きっちりとな。」 左側の年寄りのちびが大きくうなずいた。
どうやら右の一人は新入りらしい。他のふたりに比べると、服がまだ新しいし、態度も、なんとなく
普通だ。真中の先輩はつづけた。「えさは、集めたら俺のところへ持ってくるんだぞ。俺が平等に
分けてやるからな。平等ってのがだいじなんだぞ。いいな!」 新入りがうなづいた。右のちびも
大きくうなづいた。
先輩は威厳をもってつづけた。「ヤサには、順序ってもんがあるんだぞ。自分かってに場所を決
めちゃーだめだ。順序ってもんがあるからな。」
新入りはすっかりおそれ入ってかしこまっている。世の中の厳しさ、むづかしさをつくづくかみしめ
ているようだ。先輩がなぐさめるように言った「心配しなくていい。頑張ればできる。俺がついてる
からな。」新入りは少しホッとしたように、グラスを口に運んだ。左のちびはしきりにうなづいている。
「いいか! 世の中、きっちりしなきゃだめだ。な!」 先輩の顔が輝いている。左のちびは尊敬の
まなざしで先輩をみつめた。 親父がグラスをふきながら、大きなため息をひとつ ついた。
三年ばかり以前、カワモトと名乗る男が屋台に現れた。彼は産婦人科の医者だと自己紹介した。
医者と聴いて、すっかり気を良くしたその屋台のママは、サービス万点の接待をした。彼は気に
いったらしくしきりに通うようになった。少しすると、客の方にもなじみができて、そんな客を誘って
はあちこち飲み歩くようになった。ある時などは、片道一万円以上もかかる銀座まで、タクシーを
飛ばして出かける豪遊ぶり、さすがにお医者さんは大したものだと評判になった。ママも鼻高々で
あった。
しかし、そのカワモトは、ある日を境にぱったり姿を見せなくなった。
いなくなってみると、なんと、あの客に二万、この客に三万、と寸借が次々に判明した。言わずと
知れた寸借サギだった。
あれから、かれこれ三年が過ぎた。 ひょうたんにひげを生やした一人の客が現れた。げっそり
やつれたその男は高橋と名乗った。産婦人科の医者だと言う。親父は「ふうーん」という顔で聞
いている。
隣りで飲んでいた、常連のせんちゃんが、なぜか高橋をじろじろ観察し始めた。と、突然
「あれぇ! お前ェ! カワモトじゃないか?」
その男は、首と手を左右に振って、「いや いや、わたしはタカハシです」
せんちゃんが首をかしげている。
せんちゃんが納得いかない風に首をかしげながらトイレに立つと、その男は、そそくさと勘定を
済ませた。
彼が外へ出たとたんであった。以外に早く用を済ませたせんちゃんとばったり出くわした
男はせんちゃんを避けるように立ち去ろうとしたが、せんちゃんの太い腕が男の肩をガッシリつか
んでいた。男は逃げようと必死でもがいている。しかしせんちゃんの電信柱のような腕は離れない。
「やっぱり カワモトだな!」
男は、虫ピンで刺されたバッタみたいに、手足をばたばたさせながら、悲鳴に近い声で叫んだ。
「せ、せんちゃん! ひ、ひ、ひとちがいダヨ!!」
カワモトが御用になったことは言うまでもない。
ここ数日、親父の様子がどうもおかしい。料理のあいまに、ふとため息をついて考え込んでいる。
客が心配して尋ねても、そっけなく 「いや べつに。」 と答えるだけ。
ある日、親父が信頼している客が一人きりになった時、親父が「ぼそっ」と言った。
「俺、ガンかもしれない。それも、あそこの・・」 「ええっ? あそこ? あそこって?」
「あそこだよ・・」 親父は、ぽつりぽつりと しゃべりだした。
親父によるとこうだ。
年のわりに元気な親父は、ある日、床につくと、何となく、モヤモヤして、シコシコ始めたのだ。
やがて、手の動きが一段と早くなって、・・・・・・・ ト・マ・ッ・タ。 一息ついた親父は、ティッシュ
を見て、「ぎィえっっ!!」。 ナント血で真っ赤なのだ。調べてもべつに傷があるわけではない。
「ひょっとして? あそこのガン? それも出血する位だから かなりの?」
それ以来、親父はふさぎ込んでいたわけだった。
「そりゃあ 医者に行かなくちゃダメダョ。ただちに!」 客が心配して言った。
「うん・・・」親父は元気なく答えた。「明日行ってみるョ・・・」
翌日、親父は近くのわりと大きな病院にやってきた。受け付けはわりと混雑している。受け付けの
女事務員が、無表情に言った。「どうなさいました」。 親父は周囲を気にしながら、カウンターに
乗り出すようなかっこうで、事務員の耳もとにささやいた「アソコから血が出るんです。」 事務員は
えんりょない大声で 「ええっ あそこォ!」 事務員の女がイッセイにこっちを見た。親父はうろたえて、
周囲をきょろきょろ見まわしている。事務員は二、三人と相談していたが、やがて真顔で「二階の
泌尿器科に行って下さい。」 親父はすっかりおじけづいて、すごすごと二階に上がって行った。
なんと二階の泌尿器科の看板の下には、数十人もの患者が順番待ちをしている。近づくと、みんな
がこっちを見ている。親父は、さも、なんでもない風に口笛でも吹かんばかりの態度で空いている
席に着いた。
かれこれ一時間が過ぎようとしている。周囲の状況はあまり変化していない。内心はいらいらしいる
のだが、ここで周囲に悟られてはまづいから、ジッとあらぬ一点を見つめて耐えている。
さらにどれくらいの時が経っただろう。突然スピーカーの声が親父を呼んだ。親父ははじかれたように
立ち上がると、「3」のドアから中に入った。そこには、四十がらみの、やせてそばかすのある女が
白衣を着て、無表情に座ってこっちを見つめている。親父はちょこんと会釈をして前の小さな丸椅子
にかしこまった。
「どうなさいました」 その女先生はそばかすの顔を書類にやりながら言った。
「せ せ セイエキ・・・・」
「はあ、精液に出血があるんですねッ」 解ってるなら言わせるなよ・・ 親父は額の汗をふいた。
「はいッ パンツ脱いでッ ベッドに寝てッ」
親父は逆らえない二等兵のように、細いベッドに横たわった。下半身が妙にたよりない。
女先生は椅子ごと近づくと、なんの前ぶれもなく、いきなり一物をわしづかみにした。「おおうッ」
親父は妙な声を上げた。そばかすの表情はお面のように変わらない。竿をさすったり、玉を手の平
でころがしたり、竿の付け根をつっついたり、「まさか かぽっッ と食いつきはしないだろうな?」
親父は変な想像をしている。突然 「膝を抱えてえェ」 声がした。親父が膝を両手で抱えた瞬間、
菊の門からひんやりして、細く、しなやかな感触が、ぬぬ〜〜ッ と親父の胎内に入り込んだ。
「ああアアアアァァ ういィッ」 それは始めて味わう、不思議な世界であった。親父は目を閉じた。
痛みはなかった。むしろ、甘えたいような、ぬくもりにひたっていた。
「はいッ いいですッ」 無表情な声に、親父は我にかえった。「前立腺、睾丸、尿管、異常なさそう
ですねッ」
パンツをはいていると、看護婦が、みょうな形をした、試験管型の容器を手に、入ってきた。
「これに 精液を採ってきてください」 「ええッ! セ・イ・エ・キ!・・・。 ド、ド、 ドコデ゛?」
「廊下の突き当たりに、採尿室がありますからッ」
廊下の突き当たりには、小さなトイレがあるだけだった。確かに「採尿室」と張り紙がしてある。
中には大便用が一つ。ドアをノックして入る。和式である。「ここで? ナニを?」 親父はとりあえず
はいたばかりのパンツを下ろした。左手を前の壁について、右手で試みた。ナニも起きない。
今度は左の壁に手をついて、身体を反らせるようにして試みたが、一向に変化はない。さまざま
工夫を凝らしてみても、らちがあかない。外で人の気配がした。親父はふと我に返った。むなしく
悲しい気持ちがこみ上げてきた。親父は涙をこらえて、トイレを後にした。
看護婦に、だめだったことを打ち明けた。「こまるんですよねェェ」 看護婦は無慈悲に叫んだ。
親父に怒りが込み上げてきた。「そ、そんなに都合良くいかないんだッ!」 涙目になって怒って
いる親父にびっくりした看護婦は 「そ、そういうこと、わ、わたし わかんないもん!!」
まッ それもそうだな。年甲斐もなく私としたことが・・・。
結局、後日持ってくることで話しがついて、親父は病院を出た。外は桜が七分咲き。天気もよく
顔をなぜる春風がきもちいい。「まッ たいしたことなさそうだし、ヨカッタなあー」 足取りも軽く
親父は病院の坂を下っていく。こころなしか、内またぎみに。
ラーメン屋の親父が真っ青な顔をして飛び込んできた。
「マ、マ、マスター!ちょっ、ちょっと来てくれ!」
ラーメン屋はこの屋台の並びにあって、そこの親父は屋台街の世話役をやっている。
世話役が青い顔して呼んでいるからには、さては喧嘩で怪我人でも出たか、とひょうたんの
親父も飛び出した。ラーメン屋は走るように先に立つ。
「いったいどうした?」 ひょうたんの親父は、ラーメン屋を追いかけるように叫んだ。
「く、く、来ればわかる!」 ラーメン屋が叫び返す。
数人の客が何事かと顔を出している。
ラーメン屋が立ち止まった。そこは屋台街のトイレの前である。屋台街には中ほどにトイレ
が二つ並んでいる。工事現場にある、例の簡易トイレである。
親父が「あッ!」と叫んだ。
なんと、トイレのドアから2メートルも離れたところに、便器がころがっているのだ。あの白い
陶器の、スリッパ型をしたでかいやつだ。
「こ、これはいったいどういう事だ?」
「わ、わからねーんだョ」
二人はそこに立ちすくんだ。まさか、数十キロもある便器が、ひとりでころがり出てくるわけはない。
誰かがイタズラするにしては、ちょっと汚れ過ぎている。
二人は青い顔をして、互いに首をひねった。
あちらこちらの店から客がゾロゾロ出て来た。皆一様に青い顔をして、首をひねっている。
やがて大勢の人の輪ができていった。その遠まきの人の輪の真中で、便器はじっと横たわって
いる。とっぷりと暮れた闇夜に白く光りながら。
今日は暇である。親父もぼんやりと座っている。カウンターには常連客の石やんが独り、黙って
ビールを飲んでいる。いつもの石やんなら、他の客に「なっ、なっ、なっ、」と、うるさい程しきりに
話しかけるのだが、今日は客もいないからつまらなそうにしている。石やんは遊び人で、本人は
やくざではないのだが、女房は、もとはやくざの女で、背中に立派なもんもんが入っている。だから
石やんは女房を尊敬していて、自慢の種である。この女房はなかなかできた女である。惚れた石
やんが喧嘩になると、必ず飛び出してきて、石やんをかばって、その喧嘩を引き受けるのだ。だから
石やんは安心して喧嘩ができる。石やんは果報者である。
二人のホームレス風の男が店をのぞいた。「親父、飲ませてくれっか?」
親父は二人の風体を見て、ちょっとためらったが、「あっ、ああ、あいよ」と、気のない返事をした。
二人は、と言っても正確に言うと、その中の一人はかなり喧しかった。もう一人はかなりの年寄り
で、生きているのがやっと、と言ってもいいぐらい意気阻喪している。それに向かって、しきりに何か
意見をしている。年寄りの方は何を言われても気のない風をしているので、少し若い方はだんだん
いきり立ってきて、声も大きくなる。
石やんは、時々「やかましいなー」という風に、ジロッと二人を睨んでは、又ビールグラスを口に運ん
でいる。
お通しの鳥の唐揚げサラダを、一気に平らげた少し若い方が、「親父っ! こいつはうめえーなー
こんなの食ったことねーや」。親父は愛想笑いをしている。「おかわり くれっか」。親父は「えっ!」
という顔をしたものの、暇で、お通しは余っている。「オメーのもなっ」、年寄りの皿に残っていたの
を自分の口に放り込むと、少し若い方は二枚の皿を親父に差し出した。
年寄りの方は生きてるのがやっとだから、食欲なんかあるわけがない。おかわりは、ほとんど少し
若い方が食ってしまった。「こいつぁー うめー ほんとにうめー 親父っ! おかわりっ!」
石やんが「なんだ こいつら」という顔つきで振り向いた。
三度目は、さすがに親父も不機嫌になって、「もうねーよ。」
「そーかあー」、少し若いのは悲しそうな顔になってつぶやいた。
石やんは、少しほっとしたのか、ふらりと立ち上がって、トイレに行ってしまった。
石やんの皿には彼の大好きな鶏の唐揚げが一個、大事そうに残されている。 と その時、少し若
い方が、箸を手に、すっく と立ち上がった。顔が希望に輝いている。つつーっ と石やんの席に近
づくと、ねらいを定めたように、彼の箸を石やんの唐揚げに突き刺さした。
親父が立ち上がった、「こらあー なにするんだあー」。少し若いのの動きがピタッと止まった。
勝ち誇ったような顔が、そのまま凍り付いている。石やんの唐揚げは彼の箸に突き刺さったまんま
宙に浮かんでいる。
そこへ前のチャックを閉めながら、石やんが戻ってきた。一瞬、石やんの顔は狐につままれたよう
であった。石やんの目が、宙に浮かんだ唐揚げと、空になった自分の皿の間を、行ったり来たりして
いる。
やがて石やんの顔が静かにゆがんでいった。どれくらいの時が経ったのだろう。石やんの顔の痙攣
以外は、全ての景色は静止していた。
「おっ おっ おっ おれの唐揚げがぁーっ」 石やんの悲鳴が店にこだました。口は限りなくとんがり
目は涙目になっている。
唐揚げは静かに男の手を放れ、ゆっくりと元の皿に落ちていった。もちろん箸に突き刺されたまんま。
やがて、石やんは両手を握りしめ、ロボットのような動きで、カツッ カツッ と男に近づいていった。
男が後ずさりした。顔は青く、すでにこの世の終わりを感じ取っていた。ただ、目だけは、相変わらず、
悲しげに、唐揚げにそそがれていた。